自分軸と他人軸
最近〝自分軸と他人軸〟というワードをよく耳にする
きっとそれだけ生きづらさを抱えている人が多いんだと思う
そして最近感じるのは優しい人ほど、他人軸で考えてしまっているということ
きっと育った環境もあるんじゃないかな
ベストセラーになった〝嫌われる勇気〟という本には、アドラー心理学をベースに
過去はや関係ない、何を選択するかだってそんなことが書いてあった
たしかにと思ったりもするけど、でも育った環境がその選択にまったく関係ないとも思えなくて
子どもは周囲からかけられた言葉によって自分の価値というのを認識するんじゃないかな
そして自分自身の価値によって選ぶ選択肢が自ずと決まっていく気がしている
自分の価値が低いと感じていると、選ぶ選択肢がどんどん他人軸になっていく
わたしもベースは他人軸の考え方をしていると思う
そして自分軸の考え方に憧れる反面、他人軸と自分軸という言葉を目にするたびに、
ああ、自分は他人軸の考え方ばかりしているな・・・と落ち込んだり焦ったりしてしまう
他人軸で生きている人はまず、自分の価値というのを実感することが大事なのかもしれない
他人軸で考えるということはマイナスばかりではなく、人の気持ちに寄り添えるという長所もあると思う
だからまず他人軸な人は、自分を責めずに他人軸で考えているからこそ
人にやさしくできている自分を褒めたり、受け入れるところから
何事も過ぎたるは及ばざるが如しと言うし
他人軸で生きることはいい面もあるけど、行き過ぎると生きづらくなってしまう
行き過ぎていることに気づいて、ちょうどいいバランスを探っていきたいものだ